本文書き始めたのですが、これでいいのか不安!意味が分からなくなってきて〜ダメ出しください!

〇問題意識
「エンターテイメントで人々に元気を与えたい」漠然としているが、これが自分にとって不動の願いであり、ダンスをしていく上での目的である。これは芸術家のみに理解される作品ではなく、非芸術家要するにダンスとは関係のない世界に生きる人々にダンスの楽しさを味わってもらいたい、また非日常的な時間を体験してもらいたいという考えからである。
そもそもこのような考えを持つようになったのは、自分自身が未だ哲学的な問題に向き合うような芸術家にはなれず、ただ娯楽を欲する人間であることが原因であろう。しかし、実際には頭でっかちでゆとりがなく、自分を追い込んでしまうような生き方をしている。たぶんそんな心を癒してくれたのが、ミュージカルやショーといったエンターテイメントと呼ばれる作品であったのだろう。作品を深く読み取るために頭を使うこともなく、見えるまま解放を、聞こえるままリズムを感じ「ただ楽しい」を体験するのである。そのように、難しい問題に頭を悩ませることもなく、たまには他人の力を借りてでも意識的に楽しい時間を過ごしたいという考えを持つようになる。それはゆっくりとした癒し空間ではないが、笑顔とパワーの漲る「元気」の提供場所として、エンターテイメントやダンスパフォーマンスが私の中に存在してきたのである。
初めのうちはそれらを観ることで喜びを感じていたが、次第にその空間に体を委ねるようになる。そして、観ているよりもそれを演じることの方が喜びを得れるのではないかと感じ、仕舞には、その提供者つまりは出演者になりたいという願望に変わっていったのである。
そんな心の解放を求め欲するようになったが、エンターテイメントと向き合う上でいくつもの問題に打ちあたることとなる。
一つは観客についてである。非芸術家にエンターテイメントを味わってほしいというのが基本の信念だが、非芸術家は「非」であるが故に、観る機会ともしかすると気持ちすらないに等しいのである。「舞台芸術の鑑賞行動」というアンケートによると「観たことはないが興味はある」という区分の数値が少ない訳ではない。けれどだからといって、行動に移す人は少ないであろう。実際に劇場に行ってみても、不特定多数の人々がいるのではなく、同じような人々、ほとんどが主婦のような女性であることが多い。上記のアンケートにもあったが、男性の割合は非常に低いのである。そのように、既に自らエンターテイメントに接する人々は、働き掛けなくても今後も関わっていくであろう。しかし欲しい観客はその人々ではなく、全くエンターテイメントと関係のない人々である。
そのような人々は、「エンターテイメントを観る」ことに慣れていないだけで、娯楽を欲していないわけではないはずである。私としたら、テレビ・映画・スポーツ観戦といった娯楽と同じように、エンターテイメントも人々に当たり前のものとして存在すべきであると考える。それが、人々に意識されていなくても、自然とパワーを与えられたら言うことはない。なぜならば、エンターテイメントが喜びなどプラスの力を与えると信じて止まないからである。そして自分がその仕掛人になりたいのである。
次にエンターテイナーとして観客の前でパフォーマンスをする際の技術についてである。どのダンスや演技でも自分が思い描く仕上がりと、実際に出来ていることは異なるであろう。しかし、その以前にエンターテイナーとして何を目刺し演じたらよいのかが疑問に上がる。「芸術家」は自分の志を形にすればいいであろう。それが多くの人々に受け入れられなくても、自分を貫き、認め理解してくれる観客に向けてやればいいのかもしれない。しかし、エンターテイメントの基本として気楽に受け入れられなくては意味がないと考える。そうなると、自己満足ではなく観客の欲する演技を心がける必要性が出てくる。よって、ダンスの技を研くだけでなく、多数の観客の反応に反映した演技や表現を目刺し、柔軟な技術が必要となってくるはずである。しかし、残念なことに全員に気に入られるというのは不可能なことであろう。だから、なるべく多くの心に入り込み、笑顔や元気を与えたいと考えるのである。
よって以上のことから、今回の課題が定まる。多くの非芸術家にエンターテイメントを体験してもらう。そして、受け入れられることを目的とする。また劇場ではなく彼らの前でパフォーマンスをすべきであるため、非制度的空間でやることが必要になる。つまり、「非制度的ダンスパフォーマンス」を実施することで、今後の自分に繋げていくという試みである。